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2011年8月

ジジ

 今から4年ほど前、愛猫の『ジジ』がいなくなった。いや、正確には亡くなってしまった。母のそばからかたときも離れず、毎日家に帰ってたジジが突然、姿を消した。
 それから私は母と毎日、ジジを探して歩いた。「どこでさまよっているんだろう」「どっかのお家であずかってもらえてるといいんだけど…」

 しかし、1カ月もすると私たちは、ジジが亡くなったことを確信した。嘘のような話だが、母と私は同じ夢を同時に見たのだ。それは、近所の店先で他の猫たちとジジが一緒にたむろしている夢だった。「ジジ!」と呼ぶけど彼女はそっと目をふせて、仲間の猫たちのところへと歩いていくのだ。どんなに呼んでも、もう振り向かなかった。

 母も同じような夢を見たと、その朝に話した。ジジはさよならを言いにきたのだ。

 それは、おばが亡くなる前日のことだった。ジジとそっくりな猫が我が家の玄関口にいた。やせっぽちでお腹を空かせており、母が思わず「ジジかい?」と尋ねるとも「ニャーン」と鳴くだけ。よくよく似てはいるけれど、ジジではなかった。

 おばの具合が悪いころだったので、私たちは母の実家に通いつめており、足元を見たらその子もついてきた。エサをあげて「お家へお帰り」と言うが、動こうとしない。
 そして翌日、おばは逝った。葬式やら仏事で忙しい私たちを、その子はずっと母の実家の軒先で待っていたのだ。
 母はその子に鈴をつけてあげた。暗闇の中でも、どこにいるかわかるようにと。そしていつのまにか『ジジ』と呼ぶようになった。

 家にはタロとねずがいるので飼うことはできないけれど、母の実家が新しいジジの家となって、今ではすっかり番犬のクゥとも仲良しで家守をしている。

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2代目ジジ。1代目は女の子だったけれど、この子は男の子。食べ盛り。やせっぽちだったのに、今じゃおデブまっしぐら。1代目と同じく甘えん坊だ。

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晩夏の空

 雲が変わった。ムクムクとした入道雲からいわし雲へ。秋は、そこまで来ているようだ。夏が終わり、秋に向かおうとするこの季節が一年の中で一番好きだ。

 何かがわかりかけてきそうで、静かにときめくような出来事が待っていそうで、人として小さな悟りを得ることができるような、秋の序章が好きだ。

 思い出すのは、そんな季節に旅をしたことばかり。

仕事場の窓からとらえた、いわし雲。秋はもうすぐ。

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港町の茶漬け

 仕事で、またまた宇土半島に出かけた。よくよくご縁がある土地だが、今回は、そこにまつわる物語仕立ての冊子をつくらせてもらうことになり、男のよーな女性カメラマンの坂本和代と一緒にうかがった。坂本にとってその町は愛する故郷。幼いころに遊んだ路地や、神社やあこうの木、彼女しか撮れない写真をお願いすることにした。

 坂本とは長いつきあいである。男気で生きているような女である。同じようなのに下曽山弓子というカメラマンがいる。お互い「一緒にせんでくれ!」と同類と思われるのを嫌がっているが、私からすれば目くそ鼻くそのようなものだ。

 打ち合わせを終え、坂本と久しぶりにドライブをした。昔話を取り出して盛り上がりながら、腹減った、ということになり、先日、取材でお邪魔した三角港近くにある『大番』の鯛茶漬けを食べに行こうということにあいなった。

 鯛の刺身をゴマとしょう油、みりんのタレで和えてある。まずの一杯は、それを温かいご飯の上にのっけていただく。2杯目は茶漬けでいただくのだが、名古屋の「ひつまぶし」みたく二通りの食べ方でいただく鯛茶漬けはおいしい。
 食べ終え爪楊枝でシーハーする、男のよーな女カメラマンとおやじのよーなおばさんの二人。そこには女の色香などみじんも漂わない。

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手前が、ゴマだれで和えた鯛の刺身。これをぐちゃぐちゃと混ぜて、いただく。ご飯は軽く二杯分がついてくる。向こうの小鉢はところ天。

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まずは、温かいご飯の上に鯛のゴマ和えをのせて食べる。

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2杯目は、お茶漬けで食べる。いずれもおいしい。

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郡浦(こうのうら)という町

 日曜日の早朝、郡浦(こうのうら)という宇土半島の南にある浜の町に行って来た。静かな、しみじみとした町である。人々は海の恩恵に預かり、温暖な気候の産物に恵まれ、それはのどかな暮らしを営んでいる。

 ひょんなことから、この町に住むお父さんと、料理上手なお母さんと知り合った。気さくで飾らないご夫婦の親切に甘えながら、漁村をぶらりと歩いたら、家々に無花果(いちじく)の木が植えられている。無花果は郡浦の名産品らしい。ハウスものは終わりかけているが、晩夏から秋にかけて地物の無花果がたわわに実るという。

 いちじくは大好物だと言ったらお母さんが土産に持たせてくれた。お父さんは船から生きた黒鯛をとりだし、「焼いてもよかし、煮付けもうまかばい」とさばいてくれた。

 数年前、谷村志穂さんの小説『海猫』の舞台となった、北海道の函館から峠ひとつ隔てた、南茅部(南かやべ)という町を訪れたことがある。郡浦は、南茅部になんとなく似ていて、曇り空を仰ぎ見ながら、その物語を思い浮かべたりした。

 おそらく、郡浦という町は、こういう仕事をしていなければ、決して訪れることのない場所だと思える。そして、心温かいお父さんたちとも、出会えなかっただろう。
 古里への愛慕がお二人の暮らしぶりや言葉から伝わる。年末、お母さんは、「浜のおせち料理」の注文で大忙しだという。「和子さん、暇なら手伝ってよ!」とお母さん。喜んで!と返事する。冬の郡浦もまたいいものだと、楽しみが増える。

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郡浦の入り江。向こうの建物が、お父さんたちの番屋であり、お母さんの厨房だ。

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郡浦の入り江の様子。磯の香りが鼻をくすぐる。

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夏祭り

 我がM町の夏祭り。今年は不天候で開催があやぶまれたが、無事に開催のはこびとなった。夏祭りの名物は花火。毎年、近くの橋の上から花火を眺める。

 しかし、今年は祭りの会場まで母と見に行くことにした。あの、英太郎の物まねショーが予定されていたからだ。そこで、前日に英太郎に電話する。

 「英太郎、今なんしよっと?」「仕事たいかずちゃん、仕事仕事…(小声)」「うそぉ、なんかおかしかよ、あんた」「もー、せからしかねーも」「明日、M町に来るとだろ?」「行くたい行くたい」「おにぎり作ってってあげよーか、唐揚げが好きだろ?」「あんね、かずちゃんて、子どもの遠足じゃなかっだけん。見にきてくれるだけでよか。たーだ見に来て」「たーだは見きらんもん」「お願いだけん、おとなしゅう見ててよ」「約束できん…」「でたっ…」

 開場をどっと沸かせる英太郎のショーは面白かった。考えてみると、英太郎とのつきあいは長いが、彼のオンステージをじっくり見たのは初めてだ。何だか感動した。

「ステージどうだった?、かずちゃんとママに手を振ったとはわかった?」「うん。ショーはよかったよ、英太郎。でもあんた、化け物のごたるね。近くで見るといっそう寒くなる…」「ほっとけっ!」。ステージを終えた英太郎をパチリ。ドバドバと流れる汗を見て思わず数メートルほど離れた。暑くるしかぁ。

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担々麺

担々麺
 先日,新聞社で打合わせをかねてお昼を食べた。担々麺をオーダー。ラウンジの軽食に火が使えないそうで、インスタントになるわけだが、これがおいしい。ラー油を添えてくれたり、ちゃんとした本格的なお味でなかなか。
 感動したのがついてるごはんに、ふりかけがかけられてあること。インスタントをそのままだすのではなく、こういった心くばりや工夫で、料理はぐんとおいしくなる。熊本日日新聞社のラウンジは穴場である。

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ご無沙汰にございます…

 1週間もブログを休んでしまったのは初めてだ。お盆の法要や、原稿仕事、締めきりにも未だ追われてる状態で、身体の不調もありアップする心の余裕がなかった。身体がだるいとやる気が半減するものなのだな、とつくづく思う。

 少し、心が疲れているようだ。自分自身の悩みごとなんて何にもないけれど、先日、古い友人が亡くなったことを知らされた。若い時代、おしゃれな着こなしを教えてくれた男性だった。小柄でひょうきんで。彼と最後に会ったのは、昔のボスのお葬式だった。それ以来、会う機会には恵まれなかったが、もう二度と会えないのだと思うとさみしくなる。知り合いのご不幸は、心に堪える。

 今年は母の実家の縁側でスイカを4回も食べた。懐かしい子どもころのことを思い出しながらほおばって、スイカをペッペと庭に吐く。
 庭には赤とんぼが。今日は少し涼しい。秋の気配を感じれるような気温だ。このまま秋になってくれないかなぁ。毎年、秋がくると元気になれる。新しいことをはじめたい!という気にさせてくれる。

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実家の突き井戸で冷やしておいたスイカ。びっくりするくらい冷たくなっている。

2 縁側でスイカを食べる。冬にはここで、ばーちゃんとつるし柿を作ったものだった。

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ガーデニング

 すでにガーデニングが楽しい!という季節ではない。日中のバラ園なんぞに出かけようものならクラクラジリジリで、汗びっしょりで具合が悪くなりそうだ。

 ここんとこ、忙しかったのと疲れがたまっていたせいか、具合が悪くなって点滴を3日ほど受けてしのいでいる。ただ、そうは言っても、植物は生き物だから、水をあげたり肥料をほどこしてあげたりせねばならない。

 夕方の涼しい時間を待って、植物の世話をしている。ただこの時間帯、蚊が多くて、いたるところを刺される。虫除けガードを塗りまくったり、蚊取り線香を腰に巻き付けて水やりをしている。長靴をはいておかないと短パンで気楽にやろうものなら、足がかゆくてかゆくてたまらない。長靴下のピッピのごとく、短足の足をご紹介してみる。

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夕方のフル装備。足には虫除けガードをたっぷり塗っているのだ。

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お昼

お昼

今日のお昼は、テレビ局で打ち合わせがあったので、局の先輩と一緒にお昼を食べることにした。
『甚八』という寿司屋で、ちらし寿司をごちそうになる。ネタが新鮮でサッパリとしておいしい。先輩は鉄火丼。これもまたおいしそうだ。気心の知れた先輩とのお昼ご飯は楽しい。知り合いの話や家族の笑いネタで盛りあがる。
また、ごちそうしてもらお。

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うなぎ

 少し前、阿蘇の小国の取材で、『近江屋』という古いうなぎ屋さんを見つけた。早速、取材も兼ねてうな丼を注文。古い佇まいの店内で、川の瀬音を聞きながらうなぎを食べる。文句なしにおいしい。

 うなぎの蒲焼きを日本人が食べるようになったのは室町時代のころと言われている。当時は塩焼きや酢味噌をつけて食べていたらしい。うなぎを筒切り(胴体を切り内臓だけを抜いたかたち)にして串に刺して焼いたものが、水辺に自生する蒲の穂に似ていたことから「蒲焼き」と言われたという説がある。現代のようにうなぎを開いて焼き、醤油をつけて食べるようになったのは江戸時代らしい。
 江戸の背開き、関西の腹開き。武士文化の江戸では腹開きは切腹を意味し嫌われて背開きに。関西では腹を割って話せるようにと、腹開きなのだそうだ。

 M田編集長と一緒の仕事ではよくよくうなぎを食べる。同行のライターから「うなぎ好きなんですねぇ、よっぽど」と問われると、M田編集長と「うん」と同時に即答し、年寄りはうなぎが好きなのだと答える。
 柳川(福岡)では「何よりうなぎだろ」と食べた。人吉でも「やっぱ、うなぎばい」、舟運で栄えた川尻(熊本市)じゃ「うなぎ、うなぎ」と、今回も迷わずうなぎであった。

 いずれも昔ながらの川辺の情緒が色濃く残る場所である。おいしいうなぎ料理を出す店は決まって辺りに川景色の風情が漂っている。その光景もまた、うなぎをよりおいしくさせる。さて今度はいづこで、M田編集長とうなぎを食らおうか。

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小国の『近江屋』のうな丼。山椒の香りがたって、おいしかった。

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スイカ

スイカ

取材先でスイカをごちそうになった。甘くてなつかしい夏の思い出の味がした。今年はけっこうスイカを食べる。
今日から甲子園が開幕。球児たちの熱いドラマに感動する。明日も朝8時から観戦するつもり。一度の勝負にかける気迫に刺激される人は多いはずだ。

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清正

 戦国武将の中で、一番好きなのが加藤清正だ。熊本県民に今も尊敬され、語り継がれている武将というのは珍しい。だって、東京人があの家康を誇っているところを見たことがない。家康は静岡県民の方がよっぽど誇りに思っているようだ。

 加藤清正は尾張中村の出身である。エリート武将は転勤族なので、上様の命によって全国を転々とすることになるのだが、清正は熊本で最期を遂げた。病没として記録されているようだが、家康の手の忍びによる毒殺説が濃厚だ。

 盤石な徳川支配において、清正という武将はやっかいな人物だったのだろう。また、それほどに恐れられた武将ともいえる。
 無敵の要塞、熊本城の築城に心血を注いだ清正。争いがなくなりかけた時代に、なぜそのような城を築こうとしたのか…。主君、秀吉の遺児・秀頼を熊本城に迎え、熊本の地から天下取りを目論んでいた…と作家・池波正太郎は『火の国の城』で描いている。

 清正の亡骸が葬られているのが『本妙寺(ほんみょうじ)』の『浄池廟(じょうちびょう)』。熱心な日蓮宗の信者だった清正は、生前、自分の亡骸をこの場所に葬るようにと遺言している。浄池廟には、正面に清正の木像が安置され、その真下に清正は葬られている。つまり、この建物全体が清正の墓ということになる。

 本妙寺はもともとは熊本城内にあったが、清正が没した数年後に火災が起き、ここに移されたそうだ。明治の神仏分離令で寺と神社が分けられると、本妙寺の社殿だけが熊本城内に移され加藤神社となった。清正が眠る本妙寺では毎年、7月24日(6月24日の新暦)の清正の命日に「頓写会(とんしゃえ)」と呼ばれる法要が行われる。

 清正は坂本龍馬と同じく、生まれた日と同じ日に亡くなっている。時代のヒーローの影で活躍した、真のつわものたちに共通する奇妙な運命といえまいか。


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本妙寺の上方の中尾山の中腹に立つ清正の銅像。長崎の平和祈念像を手がけた、島原出身の彫刻家・北村西望作

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本妙寺の浄池廟。ここに清正は眠っている。

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南無妙法蓮華経。熱心な日蓮宗の信者だった清正。

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初七日

 あっという間におばの初七日を終えた。1週間がとても早かったように思う。日曜日、一段落ついたあとで、みんなで縁側に座ってスイカをほおばった。

 おばの家にはボーリングでついた地下水が湧き出ている。いただきもののスイカを「突き井戸」につけておき、昔のように縁側でいただく。

 甘いスイカをほおばり、種を庭にペッペと飛ばす。汚れても何にも気にしない。こんな開放的な食べ方をしたのは何十年ぶりだろうか。
 入道雲がムクムクと空に浮かんで、赤とんぼが舞う。風が西からそよぐと、忘れていた懐かしい匂いが蘇る。

 座敷の仏壇には、かつてこの縁側でニコニコと笑っていた祖父、祖母、おじ、おばが仏様となっておさまっている。時間が戻る。心が昔へと回帰していく。それはくすぐったくて甘ったるくて心地良い感触だ。いとこたちの幼い日の顔が浮かぶ。若かった頃の母やおばたちの笑顔が戻ってくる。

 本家に宿る私たちの歴史。玉手箱のような家を、大切に大切に見守っていくつもりだ。本日よりいつもの忙しい日常がはじまる。仕事も山積みだ。

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