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2009年7月

あれは、どうもなぁ

 横浜市の中田市長には、けっこー期待していた。おしゃべりも明瞭だし、言うことも的を得ており、説得力もある。けれど任期の7ヶ月を前に辞職する、という辞任劇はどうもふにおちない。何かある…と睨んだのは私だけではないと思う。

 国を変えたい!と言う彼だが、来る衆議院選挙に出馬するかと思いきや、どうも違うようだ。民主党と裏で手を組んで民主党が天下をとったひにゃ大臣として入閣する、というまことしやかな噂も聞くし、新党を結成するとも。けれど、どーもベクトルが違う気がする。

 この人にしかり東国原知事にしかり、今ひとつ読めない。読めないのは、あたしのおつむが軽いからか、はたまた、彼らの思惑が稚拙だからか。いずれにせよ、この一連の騒動で彼らへの期待はトーンダウンしてしまった。

 唯一最後の砦となった、大阪府知事の橋元氏は期待したいところだ。今朝のモーニングショーでの彼の発言は説得力があった。「国を変える」ということはなんぞや。つまり、「国会議員は国の仕事をせよ、世界競争で競り勝つために、視線を世界に国に向けよ!地方は、俺らがちゃんとやるから」ということを言っていた。正解!ほんと。

 今や政治の世界は、戦国時代そのもの。なれど、「愛の兜」を掲げて戦いに挑む武将などおらず、「人たらし」と言わしめる天下人もいない。
 どっちもどっちの天下取りの選挙を見届けるくらいなら、パチンコ『花の慶次』の大当たり画面を眺めているほうがなんぼマシか。あの劇画は、乱世を生き抜くための「義」を教えてくれている。


傾奇者(かぶきもの)前田慶次。歌舞伎は、この傾奇者から来ている。


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愛の兜の直江兼次。大河ドラマで妻夫木聡が演じている。

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梅ちゃん。フードスタイリストのアシスタントになる

 夜のクッキング撮影だった。テーマは「卵料理」。写真家・森賢一氏ひきいる『グラフ』のティームがやって来た。カメラマンは山口亜希子・B型。アシスタントは梅本洋光・B型。そしてスタイリングをする私もB型。いわゆる「オールBティーム」だ。

  「梅ちゃん、冷蔵庫から卵取って!」「はいはい」「梅ちゃん、その鍋取って!」「はいはい」「梅ちゃん、庭のミントの葉っぱを取ってきて!」「はいはい」。いそいそとお手伝いをする梅本洋光である。しかし…。

 「お前は、フードスタイリングのアシスタントかっ!」。 師匠のモリケンが見ようものなら、ぶっ飛ばされるところである。こりゃいかん、と撮影現場に戻ってもらいようやく撮影終了。さて、料理をみんなでいただくとするか。そのときの、梅ちゃんの嬉しそうな顔といったら。

 申し訳ないが、今回の料理内容は実は通常のものに比べたらたいしたメニューじゃない。いつもお願いするフードコーディネーターの撮影であれば、贅沢な材料をふんだんに使い、一流レストランなみの品書きが揃い、撮影後ワインでもあけての食事となるところだ。だが彼はそんな喜びをまだ知らず、その簡単な卵料理を前に、いとも幸せそうなのだ。

 私は、そのピュアで素直な彼の今を覚えておきたいと思った。いずれこの青年は、高級レストランの豪華メニューを撮影するだろう。名のあるフードコーディネーターとも仕事をすることだろう。けれど今夜の、このささやかなときめきこそを忘れずにいてほしいと。下積みの頃の懸命な思いがいつまでも根付いていれば、必ず、腕のいい写真家になるはずだから。

 昔、半人前だった頃の私を思い出した。湯布院の取材で、気鋭の料理人が絹糸のようなそうめんを食べさせてくれた。ほんの一口だったけれど、彼は言った。「この細さの味の意味がわかるようになれば、きっと、腕のいいライターになれるよ」

 その言葉の期待に添えているのかどうかは分からないが、今でもあの料理人の言葉がこうして胸に残っている限り、私は間違いなく前に進んでいると思えてくるのだ。

がんばれ、梅本洋光!応援してるよ!

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撮影終了後、山口亜希子が持ってきてくれたバラの花を前に、嬉しそうな顔をみせる梅ちゃん。こんな顔の彼ですが、見ようによっては、俳優の上川隆也に見えなくもない。身内の欲目かしらん。彼女、募集中です。ご希望の方は、私まで写真付きの釣書を送ってください。厳重にチェックします。

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木に登っても降りれないコ

 我が家の愛猫、ネズちゃん(8歳・9月11日生まれ)。この子が私と同じ肥満で困ったものなのだが。
 彼女ともう一人の姉妹のタロ(女の子だけど)は、毎朝、母とリードをつけて散歩に出る。猫がリードを?とお思いかもしれないけれど、我が家の前は交通量が激しく、ノラちゃんたちが交通事故に巻き込まれる死亡事故が多発する場所。だから、安全を期してのリードなのである。

 先日のこと。母が大声でわめいているので飛び出したら、隣の畑の柿の木にネズが登ったまま降りれないでいるではないか。
 何やら、蝉を追いかけて登り詰めたはいいが、下を向いた途端怖くなって、木の枝につかまり「ヒーヒー」鳴いているのだと言う。

 しかも首にはリードをつけたままだ。万が一、リードが木の枝にひっかかろうものなら、そのまま首つり状態にもなりかねない。母は、柿の木の下でうろたえるばかり。

 私とて運動神経はゼロ。ましてや、木に登ったことなどない。だが、火事場の底力というものなのか、私は無意識のうちに梯子をかりて柿の木にスススッとよじ登り、ネズをこの手にとらえ下にいる母へ手渡した。母は、「はぁ〜、よかったよかった」とネズを抱いてそそくさと家へ入ったのだった。

 一件落着と思いきや、さて問題は私だった。気がつくと、木の枝から木の枝へと梯子がかかる位置から随分と登ってきていた。下を見てゲッ!と今度は私がビビった。お、降りれない…。肥満の体重もあってか、ボキボキッと枝が折れているではないの。

 その様子を見た近所のおっちゃんが驚いて、私を救助に来てくれてあわや助かった。
「あんたまた、なんでその歳で木登りなんて…」とお叱りも受けた。実はこうであーで、と弁解しようとも思ったが、なんだか一人でにおかしくなって誤解のままにしておくことにした。

 柿の木でうるさく鳴いてた蝉たちもたじろいだのだろう、しばらく鳴くのを止めたが、数分もすると、また命の声をあげはじめた。夏の朝 の、ささやかな出来事である。

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この子がネズ。お腹ブタブタのおブタさん。甘えん坊で愛くるしくて。仰向けになってお腹をゴロゴロなでてもらうのが何より好き。可愛いでしょ!

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伊豆の踊子

 川端康成文学の代表的作品が「伊豆の踊子」である。伊豆の取材にあたり、十数年ぶりに読み返して見た。ものかきの端くれの私。最近になり、「書く」ということがより楽しくなっていたところへ、文豪の描写にたちまちガツンとやられた…。

 『道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すざまじい早さで麓から私を追って来た』

 小説の冒頭だ。ただの夕立を、誰がこう書けるものか。おそらく、打ち寄せる波のように、流れる川のように、胸に感情に、脳裏に浮かび上がった文章を原稿用紙の上に滑らしたのだろう。

 私はこの旅で、少しでも、川端康成の才能に触れたいと思った。てらうことなく、躊躇することなく、思いのままを文字にできるような力が欲しいとも。

 伊豆の湯ヶ野原に、『福田屋』という宿がある。
 『小川のほとりにある共同湯の横の橋を渡った。橋の向こうは温泉宿の庭だった』
あの宿である。河津川にかかるその橋を渡ると、小説と一語一句違わない光景が飛び込んできて、鳥肌が立った。

 その日、宿は休館であったが、熊本からわざわざやって来た私のために、大女将が相手をしてくれた。御年87歳、お肌のつやが良く、上品な雰囲気のご婦人であった。
 彼女は、生前の川端康成氏を知るとっても貴重な方である。彼(川端康成氏)が旧制第一高生でこの宿に訪れたとき私は生まれてなかったけれど、と前置きして晩年の川端氏との逸話を教えてくれた。

 なんでも、小説の舞台の宿はあきらかに『福田屋』なのに、なぜにその固有名詞が出てこなかったのか、とモノを申したらしい。これには川端氏も苦笑し、後日、その証拠となるものをとわざわざ直筆で、小説の一部を原稿用紙に書いて宿に寄贈している。

 それを見せてもらって愕然とした。原稿用紙に書かれているのは毛筆だ。決して、書き損じなどできないしろものだ。いかに川端氏が、あの日の若き心の模様を、脳裏に深く焼き付けていたかが伺える証拠品である。
 彼が若い頃に泊まった部屋に通された。ズンズンと心が、足元が震えてきた。それでもしばらく佇めば、心が次第にゆるく溶けていくような感覚になる。不思議な感じだった。

 取材時間を変更してまで、私はしばしその部屋に座っていた。まさに、物書きとしての洗礼を受けるようだった。再び『福田屋』を訪れようと強く思った。今度は走りかがりではなく、彼と同じように、その宿のあの部屋で、数日過ごしてみたいと思っている。

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若き川端康成氏が、踊り子たちが流しに来るのを心待ちに眺めたのが、この窓だ。当時と変わらぬ佇まいをみせている。いつかこの部屋に泊まろうと思っている。

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『福田屋』の大女将と。優しい、優しい方でした。ありがとうございました。近いうちに、必ず来訪いたします。感謝。

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影となり、影になり。あぁ、ありがたやモリケン様

 写真家の森賢一氏は彼のブログで、私がこのブログを始めたことを「殴り込み」だと言ってのけてくれたが、そんなそんな、そんな大それたことなどでは、とんでもありもはん。
 私ときたら、てんでアナログ女。ここに至るまでは、森氏の手助けなくしては、このブログを立ち上げることなど不可能でござった。

 「森君、ちょっと」「森君、ここはどうすると?」「森君、つながらんよ」「森君、森君」
 彼がノイローゼになるんじゃないかと、私の方が心配したくらいだ。おかげさまでこのように順調に、日々、更新ができている。ありがたや、ありがたや。

 先日、森氏と嬉野に取材に行った。取材先のホテルで、それはそれはおいしい本格イタリアンを食べさせてもらった。森氏に日頃のお礼をせねば、と思っていた矢先のこのおもてなし。なんもかんも一緒たくりにするわけにはいかないが、多忙な彼に、せめておいしいイタリアンを、取材向き(たいがい撮影後や取材後に「冷えてしまいましたが、これで良かったらどうぞ」と食べさせてもらえる)ではなく、たっぷりとゆっくりと、お客様同様の扱いでセレビッチに食べてもらったのが何よりだった。私もいい思いをした。

 森氏は、私が最も信頼する仕事のパートナーである。彼が撮ってくれた写真により、原稿仕事が触発されることは多々ある。海外の仕事では、迷うことなく森氏にお願いする。

 森氏とは、よく「仕事についてのあり方」を語り合う。我々の言うところの「仕事」とは、単に写真を撮ったり、取材するだけにあらず。現地で感じる、地霊や人々の表情、街の気配をどう汲み取って読者の皆様にお伝えするか、ということだ。大切にしているものは、「取材心」。何より写真家のメッセージと書き手の思いが合体して、はじめて「言葉」が生まれると思っている。それを誰よりも理解してくれているのが「写真家・森賢一」なのである。
 仕事は、つまりセッションをしているようなもの。だから、相手とのリズムが合わないと、いい「音色」をつまびくことはできない。彼ほどいいリズムづくりができる写真家はいないと思う。
 と、ここまで書くと、身内褒めのいやらしさとも感じ取られなくもないが、本当のことだから仕方がないじゃないか、なー、森君。
 さて来月から、あらたにさすらいの旅取材が始まる。日本全国津々浦々、まさに水戸黄門行脚のようにニッポンを旅する予定だ。もちろん、パートナーは森賢一氏。
 彼のブログでもきっと、そのことが紹介されるだろう。及ばすながら、このブログでもお伝えしていくつもりだ。こうご期待!ですぜっ!

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ラジャー!!

 フジドリームエアラインズの熊本=静岡の就航記念企画で、7月6・7・8と三日間、静岡に取材に行ってきた。その日は、7月23日(木)の就航前の取材ということで、我々は、いち早くテスト便に乗り込んでの静岡潜入となった。こういう記念企画ものの場合、路線の就航前ということもあり、別のアクセスで現地入りすることが多いが、今回はテスト便を体感できる珍しいパターン。取材の臨場感を配慮して特別の機会を与えてもらったわけでもある。
 就航前なので搭乗口はオープンしておらず、関係者が出入りする場所からの搭乗となる。こんな機会、めったにない。間近で誘導スタッフや、注油、メカニカル担当者が行き交う光景は緊張感にあふれ、現場の熱い気配が迫ってくる。
 その中で、「ラジャー!!」のサインで決めるこの人。一見、緊張感のある顔をしてはいるが、韓国の国際市場であやしげなバッタものを売るおっちゃんにも見えなくもない。しかしながら空港の現場とは凄いものだ。この面構えでも、ここにいるだけで渋く見えてしまうもの。
 と思わせたつもりでも、やはり、どこか「ゆるゆる」の感はいなめない。実はこの人、広告代理店のK広告社のI氏。飛行機関係の仕事に小さい頃から憧れていたとかで、この日も、ちっちゃなデジカメで、パシャパシャと写真を撮っていた(仕事も忘れて…)。今回の静岡取材は、彼のディレクションによるものである。
 そんな彼は多忙だ。「人気者だけに、けっこー忙しかとばい!」とやり手の広告マンは、この後の仕事は「大相撲熊本巡業」と汗を飛び散らせながら言った。大相撲か。うむ、大相撲の仕事こそが彼に最適の任務ではないか。ここ空港でこのように背伸びする必要もなく、自然体で関係者とも溶け込めることだろう。そんな池上関を熊本空港に置き去りにして、さっさと静岡へ旅立った私だった。

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延長!延長!の沖縄滞在

 そもそも、取材の日程に無理がある!と私は意見した。
2泊3日で、沖縄・石垣島・竹富島を取材するのは、物理的に無理だと思ったからだ。

だって、熊本=沖縄便は一日1本だけしか就航していない。熊本発が午後1時で、沖縄発が午後3時。しかも沖縄から石垣島へと飛ぶとなると、沖縄取材などほんの数時間しかなく、石垣島も同じだ。
 過去に、「熊本から群馬の碓氷峠まで行き釜飯の取材をし、そのまま北海道の釧路へ飛び、駅弁の取材をして来い!それも、1泊2日で。」という弾丸取材のミッションが下ったことがあるが、「物理的にあり得ません!」と涙ながらにはねのけ、なんとか2泊3日で取材を敢行したことがある。今回も、それに近い。
 そこで、同行したクライアントのお偉い様に相談してみることに。すると、さすがお偉い様、飲み込みも決断も早かった。
「よし、ならば石垣島で連泊しよう。なぁに、宿泊代など心配はいらぬ。今夜も豪勢に泡盛でやるか!」
 一行は、おっー!と両手を挙げて喜んだ。言ってみるものではある。ならば、ゆっくりと竹富島を回ろうじゃありませんか皆の衆、ということで、石垣港から高速船に乗り込んだ。

 海を渡ること10分。この高速船の客席が船底に近いこともあり、海面が目線のすぐ横にある。まるで、エメラルドグリーンの海をいるかに乗って渡っているようで、海のトリトンになったような気分だ。
 竹富島は、沖縄の原風景を残す島だ。タクシーもレンタカーもない。これを不便と思うのなら、この島にやって来る資格はない。

 港で、水牛車でまわるか、サイクリングするか、歩き、を選択するわけだが、取材班は、他力で観光見物できる水牛車を選んだ。滞在が短いと不満をたらしたわりには、やることは「ぐうたら」きわまりないのだ。

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竹富島のブーゲンビリア。赤い部分が花だとばかり思っていたら、葉っぱの一部。ブーゲンビリアの花は、この赤い葉の先に咲く、小さい白い花らしい。

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竹富島の民家。庭先にパパイヤがなっている。短冊きりにしてチャンプルーで食べる。

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この青年は、鳥取から竹富島に移り住んだ。この島に来て以来魅了され、観光の仕事をしながら、暮らしているのだとか。島の若者は出て行くが、島にやって来る若者もいる。時間の流れ方が都会とは全く違う、不便さを不便と感じないのだとも。彼たちが求めるものは、それにも増して、この島に息づく人々のピュアな心なのだろう。それは何より、彼たちがピュアだからこそ感じ取れる、心の息づかいかもしれない。島の小中学校は複式学級で、生徒より先生が多く、なんと恵まれた環境なのだ。「いじめ」など、この島には皆無だという。

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ハブアタ〜ックッ!! 沖縄編その1

 岩手から熊本へ戻り、テレビの収録や原稿仕事をすませ、今度は静岡へ。再び帰郷するやいなや、沖縄だ。
2週間の間に詰めに詰め込んだ、「死のロード」と呼んだ過酷な旅取材も終盤である。
 沖縄の旅取材は、実はあんまり気が進まなかった。ハードな旅取材で体力も落ちているところへ、灼熱の沖縄は、きついもの…。国際通りへ向かう。那覇と言えば、こっからの取材スタートだろう。
 しかし暑い。太陽の陽射しが半端じゃない。ムンムンする。通りの店の鮮やかな色にクラクラする。日に焼けた若者たちの熱気にうなされそうだ。あ゛ー、どかんかせんといかん。
 そこで、クーラーが効いてて、若者たちの熱気のない店を選ぶ。沖縄の特産品を売る店があった。どうやらここは、弱体化した我がボディによさげな雰囲気だ。椅子に腰掛けるとあるものが目に止まった。「ハブアタック」なる滋養強壮剤だ。
 ハブか…うむ、ハブのエキスを体に流し込めば、元々頑丈なこの体、一気に回復するやもしれぬ。
 早速1本所望した。うん、顔面あたりに活気が戻ったぞ。
ならば、もう1本。うむうむ、上半身の細胞が動き出した。
となればさらにもう1本。下半身にもエネルギーがみなぎり、ようやく本来の姿を取り戻す。
 この回復劇を喜んだ私は、店の人に礼を言った。
「ありがとうございます!こんなに元気になるなんて!」
店のおばちゃんは少し困惑しながらも、新発見でもしたかのような笑顔で応えた。
「1本も3本も効果は同じと思ってたけど、あなたの元気ぶりを見て、これからはお客様に数本まとめて飲まれるのをおすすめしますよ!」
 沖縄の経済効果の役に立てた気分になった。

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これがハブアタックの栄養ドリンク。まとめて3本飲んだら、効果てきめんだった。

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ハブアタックのスペシャルを発見!沖縄の土産は、これだけにした。5本買ってきた中の1本を、徹夜明けの日曜の朝に、今まさに開栓しようとしているところ。

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けーこさーん!

 盛岡の旅は、実に心温まるものであった。
中でも、神子田朝市(みこだあさいち)でのおばちゃんたちとの出会いは、 甘ったるくて、優しくて、心がとろけそうになった。温かかったな、ほんと。

あの、元気ものの「けーこさん」は、お元気かしらん。
「あぎになったら、りんごっことよーねし送るべ」と言ってくれたんだけど、
「よーねし」がなんだか分かんなくて。よーくよーく聞き直すと、「洋梨」のことだった。
おいしいだろうな、甘いだろうな。
けーこさんちの農場でとれる自慢のものだもの、うまくねーはずがねーべ。
きっと、今日も元気で、朝市でお客さんを笑わせてるんだろうね、けーこさん。

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けーこさーん! 「よーねし」待ってるべー!

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朝市で食べた「ひっつみ汁」。ほうとう、油揚げ、ごぼう、ニンジン。滋味深いダシが、体に心に染みていく。

前夜、繁華街の居酒屋で食べた、渡りガニ入りの贅沢なひっつみ汁より、なんぼ旨かったことか。

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しぞーか(静岡)ずら

 静岡に行ってきた。霊峰・富士、茶所、清水次郎長、徳川家康ゆかりの土地だ。
これまで私にとって静岡は、「通り過ぎる街」でしかなかったけれど、行ってみるとネタの宝庫で、驚いた。じっくりと回れば、いいものがいっぱいある。それはきっと、どこの土地でも同じことなんだけど。

 「白糸の滝」を訪ねた。山からの伏流水が滝となっているのかと思いきや、なんと、80年前に富士山の積もった雪が地下水になって岩肌からあふれ出ているのだと。二日酔いとメニエル氏症候群を発症した体には、実にありがたいマイナスイオンであった。

 『青葉おでん横丁』で、静岡おでんを食べた。こちらのおでんは、牛すじのスープに濃い口しょうゆを加えたもので、まっくろなダシ。黒はんぺん(グレー色)に青のりとダシ粉をかけていただく。見た目よりあっさりした味である。
 と、この空間、どこかで見たような。そうだそうだ、佐藤浩市のビールのCMで使われた店のような…。ご主人に伺うと、「当たり!」と笑った。そこで、彼が座ったと思われる椅子にまたがって、おでんをほおばる。なんとも、佐藤浩市の膝の上で食べてる気分になった。

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富士山の雪が地下水になって、岩肌から流れ出ている。
全国津々浦々で、ご当地「白糸の滝」がある。

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  きゃー、マイケルが生き返ったかと思いきや、「白糸の滝」
の売店にいたイケメン。
おばちゃんたち御用達のブティック(よろずや的お店)の店先
の看板イケメン。この哀愁感が母性をくすぐるのだろうか。

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