庭・優しかった日々
本家の庭の手入れをするようになってから1年。庭師だったおじの職人ぶりが、石の組み立て方や樹木の配置にうかがわれる。おじは晩年、認知症を患っていたので、自らの手でこの庭に最後に手を入れたのは、15年ほど前になるだろうか。おばとて、ずっと病気でふせっていたので庭いじりは無理で、草取りが精一杯だった。
私が小さい頃、庭には生け簀があり鯉がいっぱい泳いでいた。地下水をくみ上げた池はずっと広かった記憶がある。夏ともなると祖父が鯉を小さい池に放ち、孫たちのためのプールをしつらえてくれた。その後、何の事情かで池は埋め立てられた。
本家を譲り受けたとき庭に地下水を引いた。現在はブルーのプラスチック容器に水を引いてるが、これは仮のしつらえで、コンクリートの水場をちゃんと作る予定だ。この小さな池にスイカを冷やしたり、老犬のクゥや猫のジジの水飲み場となっている。
毎朝、クゥの散歩をし、ジジと遊んで、縁台に座り、しばらくこの庭を眺めるのが日課だ。春夏秋冬の移り変わりを眺めてきたが、少しも飽きることがない。植物の成長で庭の姿は変わる。その変動が楽しい。
本家の座敷に先祖の仏壇がある。そこからこの庭が見渡せる。きっと、祖父もおじも目を細めて眺めているだろうと思うと、草1本とて気になるのである。
思い出の重みにしなるように、私はこの庭にひどく執着している。まだ健在のおじやおばたち、いとこたちが本家を訪れたとき、優しかった日々をすぐさま思い出せるようにと、毎日の手入れを怠らないのである。
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